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善徳女王 9 吹き替え [雑感]

日本語の吹き替えは、韓国の俳優さんと
声質がよく似た人が担当している。

ミシルの雰囲気などはよく出ている。

ただ、日本の声優さんは声が良すぎる。
まろやか過ぎる感じ。
ユシンの声も韓国の俳優さん、
オム・テウンさんは、叫んだ時など声がわれるが、
吹き替えではうつくしい声が大きくなる。
軍人だから、声がわれた方がリアルに感じる。

善徳女王の声は、少し可愛すぎる気がした。
イ・ヨウォンさんも女王になると低めの声で話していた。
40歳~50歳代の女王という立場の女性の声は、
もっと威厳のある声の方が似あっていると思った。

原語で見ていると、言葉はわからなくても感情がよく伝わってくる。
俳優さんが思いを込めて体全体で表現している声。
日本語でも十分感情は伝わってくるが、
やはり本人が出している声に乗っている感情は、
人を揺り動かす力が大きい。

ピダムが自分はミシルの息子だと
トンマン王女に話すシーンは、
ピダムの深く傷ついている心や
それに共感するトンマンの心が
言葉はわからなくても胸にしみてくる。

ソルォン公がミシルを「せじゅ」と呼ぶ時
ありあまる恋慕の情が感じられる。
凄い俳優さんだ。
日本語になると、「ミシル様」となるが、
ただ呼びかけているようで、情は感じられない。

しみじみ声優さんは大変だと思った。
体の表現は人に借りて、
声だけで、違う言語で微妙なあるいは深い感情を伝えるのは大変だ。

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善徳女王 8 朝鮮語 [雑感]

日本語で3回観て、原語で観たいと思った。
その後何回も原語で観て、だんだん朝鮮語を覚えてきた。

言葉を覚える順序がよくわかる。

まず、固有名詞からわかってくる。
トンマン、ユシン郎(ラン)、アルチョン郎(ラン)、ミシルセジュ(壐主)
テヤサン(大耶城)ソラボル(徐羅伐)カヤイン(伽耶人)
ペクチェ(百済) シルラ(新羅)
その他たくさん。。。

次に、指示語や間投詞がわかってくる。
カジャ!(行け!)
チャラ!(かかれ! やれ!)
タン(次!)等々
イェー(はい) アニ(いいえ) アニョ(いいえ)

朝鮮は、漢字文化圏にある。
二字熟語、四字熟語は同じ意味で使う。
日本語の字幕を見ていると、だんだん聞き取れてくる。
というか、かなり日本語的に聞いている。
ペーハー(陛下) クンジュニム(公女様)
ポイ(包囲)ヤクチュ(約束)テーギ(大義)
チュンピ(準備) イルジキ(日食) 
サンジャングン(上将軍) ハジャングン(下将軍)

次によく使われる言葉が丸ごと入ってくる。
ペーパー ナプシヨー(陛下のおなりー)
アルゲスルミダ(ヨ)(わかりました 承知しました)
ヨが付くと、より丁寧になるようだ。
アラッタ(わかった)
分かるというのは、アから始まるみたいだ。
クレ(そう) クレッタ(そうだ) クロッケ(そうして)
日本語で「そう」というのは「ク+ラ行)みたいだ。
モーラ(何?) 
「何」というのはモらしくて、
どうしてというような意味の言葉は、モから始まることが多い。
どうして、なぜは、オッチ、ウェーというような言葉であるときもあった。
ナ(私)  チェ(私)  ドゥ(おまえ)
チュイン(殺す) ポンマル(本当)
サラ(人) ペクソン(民) サラ(愛)
ナラ(国) グク(国)ヨンモ(恋心)

意味は違うけど、日本語や他の言語にある発音のものも聞きとりやすい。
コマッタ(感謝する)
オッソー(早く)
ビアン? ミアン?(悪い)
チョ(ちょっとという感じ。あのというように声をかけるとき使う)
ムシャ(武者 武士)  ムエー(武芸)

だんだん速さに慣れてきて、語尾が聞き取れてくる。
~~ミダ  ~~スルミダヨ

日本語の字幕から、漢字が見えてくる。
ミョンミョンペクペク(明明白白 はっきりさせる)
ケンチョン(健全? 字幕は身体的に大丈夫)
同じ「大丈夫」でも安全というような意味では、
アから始まる言葉だけど、まだはっきり聞き取れない。
チンジェン(真正? 字幕は本当)
ソクチョンソッケツ(即戦即決 字幕はすぐに)
カンジャ(間者? 密偵)  ムロン(無論? もちろん)
イジェ(以後? これから) カモン(家門? 一族)
トンサーナンプー(東西南北)

7世紀には、まだハングルがないから、
手紙などは、日本でいう漢文。
一時停止してよく見たら、何とか読める。

助詞は、日本語と同じく名詞のあとにつくようだ。
~エ~(~の~)
~イ(~が) これは名詞の語尾をユニゾンみたいに
変化させてしまうみたいだ。
ピダムという固有名詞を、ピダミと発音するときもあった。

よく使われる接続詞も覚えた。
ホナ(しかし では)
トゥ(それと それから)名詞の間では~と~

朝鮮語は、「ん」の音を日本語よりよく使うようだ。

以上、書ききれていないのもあるし、
聞きとり間違いもあるだろうし、
カタカナでは表現しきれない音もあるし、
全く不完全だろうけど、朝鮮語にも興味が沸いてきた。
もしかしたら、古代朝鮮語かもしれないけど。。。

エンドロールの歌がイタリア語なので、
おまけでイタリア語も覚えた。
Passo do po passo 一歩ずつ
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善徳女王 7 衣装 [雑感]

女性の登場人物は、衣装が美しい。
王侯貴族は最先端だから、唐風。
ドラマの初めの方は、隋だったけど。
唐風では、薄布のショールみたいなものをつけている。
王女だけが、天平美人図のような柔らかい布で
作られたふわふわ揺れる衣装をつけている。
ミシルは、金等で刺繍が全面施された豪華な衣装。

トンマン王女の双子に姉は、ピンクの衣装が多かった。
トンマン王女は、最初は赤を主体にして黄色の前垂れとかで、
可愛くて妹感がでていた。
その後女王になるまでは、水色や緑系の衣装で、
冷静で男まさりな感じ。

権力者ミシルは、最高位の者が着ることができる
紫色の衣装が多い。
ムンノも国仙として動くときは、薄紫の衣装となる。
新羅の法興王7年(520)春正月に律令を頒布し、
初めて「百官公服」の秩序を定めたという事らしい。
身分で着れる服の色が違ったそうだ。
最上位の服の色は紫、次が緋、次が青、
次が黄、最下位の平人は白衣だそうだ。

格物(科学)の大家であるウォルチョンという人物は、
普通は黄土色(仏僧もこの色だった)の衣装だが、
礼服の時は、今の僧侶のような袈裟をかけ、
それは緋色だった。

女性は美しいイヤリングを付けている。
基本ピアスだけれど、耳にかけるようなのもある。
粋を目指すキム・チュンチュとミセン公は
男性ながら、おしゃれでつけている。
7世紀にも、いつの時代にもそういう男性はいると思わせる。

様式は、現代とさして変わらない。
正倉院遺物にもあるが、同じ雰囲気で作られている。
西域から来たというイヤリングは、
いろいろな宝石、サンゴ、めのう、ラピスラズリ等でできている。
サンゴをバラ型に彫ったものはステキだ。
キム・チュンチュがポリャンに選んであげた。

ドラマでは、だいたい長く垂れたイヤリングをつけている。
トンマン王女様は、爽やかな感じだけど金に様々な宝石が1つついたもの。
サンゴのついた可憐なイヤリングをよくつけていた。
善徳女王になってからは、金で豪奢だけれど洗練された感じのもの。
ミシルは、豪華でいろいろな大きな石を使った重々しい感じのもの。
聖骨の王妃様や王様の妹は、年齢相応に落ち着いた色の宝石もの。
侍女たちは、長さが3cmくらまでで石を連ねたもの。

髪飾りも楽しめる。
善徳女王は、金細工の物が多い。
重厚であまり多様性はない。
ミシルの方は、権力にまかせて色々コレクションしていて、
いろんなアクセサリーをつけてくれる。
銀色のゆらゆら揺れる冠がきれいだ。
紫のアメジストを横に連ねて揺れる髪飾りもいい。

王族、貴族の衣装はどれも刺繍がすばらしい。
韓国で出土されている埴輪のような体格の比率でなく、
俳優さんたちは背が高く見栄えがいい。
美しい服、装飾品、工芸品を見るのもドラマの楽しみだ。
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善徳女王 6 靴 [雑感]

花郎や郎徒は、ブーツを履いている。
流人のピダムは、カンフーシューズのようなものを履いている。

一度、ピダムが人を制止するのに足を出したとき、
靴底が映像に映った。
溝のあるゴムのように見えた。
それはないだろうと思った。
別に粗探しするわけでなく、
7世紀の新羅ではどんな履物を履いていたのか気になった。

革靴はあったみたいだ。
牛皮を煮詰めると固くなり、鎧や靴に使えるようだ。
日本にも7世紀頃に靴はあったらしい。
履や沓というらしい。
そう言えば、蹴鞠のときは沓を履いている。

靴のゴム底の歴史は浅いようだ。
とりあえず、ヨーロッパにゴムを紹介したのはコロンブス。
15世紀のことだ。
ハイチ島で原住民の子どもがゴムボールで
遊んでいるのを見て、驚いたそうだ。
で、その後2世紀はたいして工業としては発展せず、
1839年、チャールズ・グッドイヤーという人が、
弾性のある丈夫なゴムの作り方を発見したそうだ。
それから、20世紀前半にゴム底の靴が造られ出し、
ビートルズが履いたりして普及したみたい。

3000年以上前のマヤ文明、メゾアメリカ文明では
天然ゴムを多用していて、いろいろな道具に使ったらしい。
これは、新羅とは遠すぎて関係ない。
シルクロードがあったとしても、
ハイチ島から西域にゴムが伝わって、
中国を経て日本や新羅にゴムが伝わってはいないだろう。
正倉院に、ゴム製品はないようだし。

ところで、第15代風月主を決める比才の時にも、
ピダムの足が大写しになる。
この時は、ブーツを履いているが、やはりゴム底だ。
本体部分はかなり柔らかい革でできていそうだ。
縫い目はどう見てもミシンで縫われている。
そりゃあ、俳優としてあの動きをするためには、
相当柔らかい革でないと、動きにくいだろう。

ここであの疑問また浮かぶ。
川の中で戦さをしたら、
靴の皮が水を吸って重くなり、
また乾くのに時間がかかるから、
メリットはないみたいだ。
水虫になりそうだし。
俳優が演じるにしても、
川の中を走ったり剣をふるったりするのは、
大変だっただろう。


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善徳女王 5 戦さ [雑感]

城は、高さ6~7mの石垣で防御されている。
2階建ての家くらいの高さだ。
築城の歴史については知らないけど、
万里の長城が紀元前から存在したのだから、
砦や城を作るのに、石垣を積む技術や習慣は、
6世紀の新羅にはあったのだろう。
日本は飛鳥時代だけれど、
大きい建造物と言えば、古墳を思い浮かべるだけ。
古墳の中は石を積んでいたから、積む技術は伝わっていた。
じゃあ、日本は石垣の砦を築く習慣がなかった?
日本では石を積んで城の周りを固めるのは戦国時代以降?

日本の城の歴史を垣間見たら、
天智天皇が664年に最初に城と呼ばれるものを建てたらしい。
善徳女王と同じ時代だ。
その頃は日本にもあちこちに城が造られていたらしい。
日本を含め朝鮮半島、中国とも戦いの時代だったのだろう。
まあ、ずっとそうだけど。

ドラマでは2000人の兵士で大軍と言っていた。
2000人と言えば、学校の校庭に並ぶ事のできる人数だ。
それが大軍という時代なのだ。

ドラマの戦さは、200人くらいの単位で行われていた。
ちょっと気になったので、自衛隊の構造を調べてみた。
全部で27万人くらいいる。
日本の人口1億2700万人として0.2%なんだあ。
多いのか少ないのかの分からない。

現在の陸上自衛隊の行動単位は、
斑=2~3人、分隊=8~12人
小隊=38~45人、中隊=120~180人
大隊=100~300人、連隊=100~600人
旅団=4000~5000人
師団=6000~9000人らしい。

花郎が抱える郎徒は、小隊くらいの人数で構成されている。
ドラマで百済が新羅を攻めてきたとき、
新羅は1万2千人で迎え撃った。
1師団くらい。
幾つかの国境に配備された兵士は、旅団くらいの規模かな。
だとしたら、新羅全体では6~7万人の兵士がいたのかなあ。

陸上自衛隊の班、小隊、分隊という単位を見ていると、
3000年以上、戦さのやり方は基本的に変わっていない。
という感じがした。
結局、白兵戦のような事があると、最小は班、
ちょっとした任務は小隊くらいの単位で動くんだろう。
人間の組織のあり方として、その位の人数が意志疎通が密で
一体として行動できるからだろう。
そう言えば、宇宙飛行士たちは、分隊位で動いている。
または、縄文時代の狩は班か分隊くらいでしていただろう。

ところで、善徳女王の戦さのシーンは川が多い。
なんでわざわざ川の中でするんだろう。
足元が不自由で動きにくい。
あれは、本当に何か理由があって
その頃の戦さは、川の中でするのが普通だったのか、
それとも、ドラマの見栄えとして川の中にしたのか、
どうなんだろう?
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