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善徳女王 5 戦さ [雑感]

城は、高さ6~7mの石垣で防御されている。
2階建ての家くらいの高さだ。
築城の歴史については知らないけど、
万里の長城が紀元前から存在したのだから、
砦や城を作るのに、石垣を積む技術や習慣は、
6世紀の新羅にはあったのだろう。
日本は飛鳥時代だけれど、
大きい建造物と言えば、古墳を思い浮かべるだけ。
古墳の中は石を積んでいたから、積む技術は伝わっていた。
じゃあ、日本は石垣の砦を築く習慣がなかった?
日本では石を積んで城の周りを固めるのは戦国時代以降?

日本の城の歴史を垣間見たら、
天智天皇が664年に最初に城と呼ばれるものを建てたらしい。
善徳女王と同じ時代だ。
その頃は日本にもあちこちに城が造られていたらしい。
日本を含め朝鮮半島、中国とも戦いの時代だったのだろう。
まあ、ずっとそうだけど。

ドラマでは2000人の兵士で大軍と言っていた。
2000人と言えば、学校の校庭に並ぶ事のできる人数だ。
それが大軍という時代なのだ。

ドラマの戦さは、200人くらいの単位で行われていた。
ちょっと気になったので、自衛隊の構造を調べてみた。
全部で27万人くらいいる。
日本の人口1億2700万人として0.2%なんだあ。
多いのか少ないのかの分からない。

現在の陸上自衛隊の行動単位は、
斑=2~3人、分隊=8~12人
小隊=38~45人、中隊=120~180人
大隊=100~300人、連隊=100~600人
旅団=4000~5000人
師団=6000~9000人らしい。

花郎が抱える郎徒は、小隊くらいの人数で構成されている。
ドラマで百済が新羅を攻めてきたとき、
新羅は1万2千人で迎え撃った。
1師団くらい。
幾つかの国境に配備された兵士は、旅団くらいの規模かな。
だとしたら、新羅全体では6~7万人の兵士がいたのかなあ。

陸上自衛隊の班、小隊、分隊という単位を見ていると、
3000年以上、戦さのやり方は基本的に変わっていない。
という感じがした。
結局、白兵戦のような事があると、最小は班、
ちょっとした任務は小隊くらいの単位で動くんだろう。
人間の組織のあり方として、その位の人数が意志疎通が密で
一体として行動できるからだろう。
そう言えば、宇宙飛行士たちは、分隊位で動いている。
または、縄文時代の狩は班か分隊くらいでしていただろう。

ところで、善徳女王の戦さのシーンは川が多い。
なんでわざわざ川の中でするんだろう。
足元が不自由で動きにくい。
あれは、本当に何か理由があって
その頃の戦さは、川の中でするのが普通だったのか、
それとも、ドラマの見栄えとして川の中にしたのか、
どうなんだろう?
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