「平穏死」という選択 [書籍]
著者は、石飛幸三氏。
特別養護老人ホーム芦花ホーム医師。
元急性期病院の外科医。
自分も高齢者になってきたし、
両親も存命ということで、興味をもって読んでいる。
100ページくらいまで読んだので、感想を書いておく。
死ぬなら老衰がいいなあ、と漠然と思っていた。
朝、気づいたら、息をしていなかった。。。というイメージ。
そういう死に方は、かなり工夫しないとできないようだ。
「へえ、そうだったんだあ」というところを抜粋する。
病院では、治療ができるのにしなかったら、
医師が「不作為の殺人」を犯すことになるらしい。
だから、食べられなくなったら、「胃ろう」ということになる。
「胃ろう」なら、退院して療養施設に行っても手当が比較的簡単。
血管に直接栄養を入れるのは、療養施設ではできない。
私は、今まで老いて死ぬところをリアルに想像したことはなかったが、
高齢者になって、割と簡単に想像できるようになった。
全身の筋肉がほとんどなくなるのだ。
今の延長線上で想像すると、動くことがかなりの大事業になる。
体内の臓器の筋肉(?)もなくなるだろうから、代謝もすごくゆっくりになるだろう。
昔のように肉をたくさん食べたいとか、
こってりしたラーメンとぎょうざを食べたいとか、
そういう欲望は全くなくなった。
たまに、肉が食べたいと思うけれど、一口でいいのだ。
ぎょうざも食べたいけれど、一口で満足する。
この延長線上で想像すると、ほとんど食欲がなくなってくるのだろう。
人間が老いて死ぬときは、
だんだんと食べなくなって、寝ている時間が長くなるらしい。
そういう風にして、2週間くらいですーっと死んでいくそうだ。
病院では、そういう状態でそっとしておいてはくれない。
確かに、我が家の老人は、血圧の薬がなかったら生きていないだろう。
そういう意味で、不自然な生だけれど、
文明社会における人間という意味で、自然な生なんだなあ。
文明社会では、平和に暮らし文化を楽しんでいる。
心豊かな生活を送っている。
そういう心豊かな生活が、最終末の生活に保障されているか。。。
そう、私は、生活している中で、朝起きてこなくて、死んでいた、、、
という、私の最後を創出したい。
245ページまであるので、
To be continued
特別養護老人ホーム芦花ホーム医師。
元急性期病院の外科医。
自分も高齢者になってきたし、
両親も存命ということで、興味をもって読んでいる。
100ページくらいまで読んだので、感想を書いておく。
死ぬなら老衰がいいなあ、と漠然と思っていた。
朝、気づいたら、息をしていなかった。。。というイメージ。
そういう死に方は、かなり工夫しないとできないようだ。
「へえ、そうだったんだあ」というところを抜粋する。
病院では、治療ができるのにしなかったら、
医師が「不作為の殺人」を犯すことになるらしい。
だから、食べられなくなったら、「胃ろう」ということになる。
「胃ろう」なら、退院して療養施設に行っても手当が比較的簡単。
血管に直接栄養を入れるのは、療養施設ではできない。
私は、今まで老いて死ぬところをリアルに想像したことはなかったが、
高齢者になって、割と簡単に想像できるようになった。
全身の筋肉がほとんどなくなるのだ。
今の延長線上で想像すると、動くことがかなりの大事業になる。
体内の臓器の筋肉(?)もなくなるだろうから、代謝もすごくゆっくりになるだろう。
昔のように肉をたくさん食べたいとか、
こってりしたラーメンとぎょうざを食べたいとか、
そういう欲望は全くなくなった。
たまに、肉が食べたいと思うけれど、一口でいいのだ。
ぎょうざも食べたいけれど、一口で満足する。
この延長線上で想像すると、ほとんど食欲がなくなってくるのだろう。
人間が老いて死ぬときは、
だんだんと食べなくなって、寝ている時間が長くなるらしい。
そういう風にして、2週間くらいですーっと死んでいくそうだ。
病院では、そういう状態でそっとしておいてはくれない。
確かに、我が家の老人は、血圧の薬がなかったら生きていないだろう。
そういう意味で、不自然な生だけれど、
文明社会における人間という意味で、自然な生なんだなあ。
文明社会では、平和に暮らし文化を楽しんでいる。
心豊かな生活を送っている。
そういう心豊かな生活が、最終末の生活に保障されているか。。。
そう、私は、生活している中で、朝起きてこなくて、死んでいた、、、
という、私の最後を創出したい。
245ページまであるので、
To be continued
タグ:平穏死 石飛幸三
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